一年を通した自然の変化を感じて
暖かな季節の到来は、いつでも私たちの心を躍らせます。とりわけ、早春の訪れは、冬の厳しさを忘れさせてくれる特別な時期です。今年も、まだ3月とは思えないほどの暖かさが続いており、自然界の大きな変化を感じずにはいられません。
この記事では、私が長年世話をしてきた第三菜園の整理を終え、土地の返却準備をした様子をお伝えします。この畑は、2012年から私が借りて野菜栽培に取り組んできた場所で、多くの思い出が詰まっています。それゆえ、この畑を返却することは、私にとって感慨深い出来事となりました。
これまでの活動を振り返り、私はこの畑との別れに、複雑な感情を抱いています。喜びと同時に、ちょっとした寂しさもあります。しかし、自然の循環の中で、この畑は次の場所で活用されていくことでしょう。私にできるのは、これまでの活動を大切に振り返り、次の人に良い状態で引き継ぐことです。そして、その先にある新しい可能性を期待しながら、この別れを前向きに受け止めたいと思います。

季節外れの景色を眺めながら
もう一度、大切な思い出を
振り返ってみよう
いつもと違う季節の訪れに、心が躍る。いつもの野菜畑も変わった表情を見せてくれている。
春の訪れがまだ感じられない不思議な気候が続いている。しかし、そんな中にも少しずつ新しい命が芽吹いている。
あの思い出深い畑を手放す時がやってきた。15年もの長い歴史を経てこの場所と別れを告げるのは、複雑な心境だ。
かつてこの畑で育てた白瓜の味わいや、そこでの出会いや出来事が今でも鮮明に浮かぶ。夢のようなあの時代を懐かしむとともに、新たな扉が開かれる喜びも感じる。
そして、次の旅立ちに向けて、この畑をきれいに整えていく。ここで過ごした日々の思い出をしっかりと胸に刻んでいく。
農作業の季節が始まる。季節外れの暖かさの中、私の農園では静かな変化が起こっていた。長年耕してきた第三菜園の片付けと返却の作業が、ゆっくりと進んでいく。思えば、2012年にこの550平方メートルの土地をお借りしてから、多くの思い出が刻まれてきた。最初は市内の漬物屋との契約栽培で白瓜を育て、その後さまざまな野菜を栽培してきた。農作業は単なる生産活動ではなく、土地との対話であり、自然との共生の物語でもある。トラクターで土を耕す度に、過去の記憶が土の中から湧き上がってくるような感覚を覚える。農具を片付け、波板トタンやワイヤーメッシュを撤去する作業は、ある種の儀式のようだった。一つ一つの作業に、長年の農作業で培った経験と技術が静かに息づいている。

作業を進めるにつれ、かつての活力と今の穏やかな気持ちの間に微妙な感情の揺れを感じる。かつては1000平方メートルもの広大な土地で野菜を栽培し、直売所へ出荷していた頃の自分を思い出す。当時は体力も気力も充実していた。今は少しずつペースを落とし、より静かに土地と向き合っている。トラクターで畝を崩し、耕耘する作業は、まるで人生の軌跡を辿るかのようだ。一回の耕耘で綺麗に畝が広がる様子は、人生においても新たな可能性が開けることを象徴しているように感じられる。農作業を通じて、私は常に自然の循環と人間の営みの繊細なバランスを学んできた。耕し、育て、収穫し、そして次の季節へと引き継ぐ。この繰り返しが、農家の生活であり、生きる知恵そのものなのだ。
最後の作業を終え、この土地をお返しする瞬間、不思議な感情が込み上げてくる。長年共にしてきた畑との別れは、感傷的でありながら前向きでもある。「泣く前に終わっておこう」と心に言い聞かせるが、この土地との思い出は消えることはない。農作業は単なる生産活動ではなく、人生の哲学そのものだと私は信じている。土を耕すことは、自分自身の内なる土壌を耕すことでもある。新たな季節を前に、過去の経験を糧に、これからの農作業に向き合っていく。自然の中で生きること、土に触れること、作物を育てることの尊さを、この経験が私に教えてくれた。農作業は終わらない、それは常に循環し、新たな形で生き続けるのだ。

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